二日目の天気はなんとか曇り、といった感じでした。 彩四季の宿 花筏 をAM9:00にチェックアウトして、車で30分ほどで二条城の駐車場へ到着しました。まずは二条城を見学します。番所 徳川将軍不在の二条城中は、二条在番と呼ばれる江戸から派遣された大番組の武士によってその警衛の全責任がとられ、毎年二組(一組50人)が、四月を期して交替。要所要所の番に当った。この番所はその番士の詰所の一つで、正面十間(19.6m)、奥行(6.06m)の細長い建物であり、前側の二間畳敷に門番が勤務していた。
唐門 金や極彩色の彫刻が施された豪壮華麗な門。後水尾天皇が行幸した寛永3年(1626年)に、伏見城から移築されたと伝えられているそうです。二の丸御殿の正面に立ち、国の重要文化財に指定されています。ここでMIEが写真を撮っていると、アジア系の男女に「Excuse me.」とTAKAが声をかけられた。どうやら記念写真を撮ってほしいらしかった。TAKAは気軽にカメラを受け取ったのでした。「シャッターを切る時になって、どう言えば良いのかわからず、いろんな単語が脳裏をよぎった」そう。
二の丸御殿(国宝) 武家風書院造の代表的な御殿建築で車寄につづいて遠侍、式台、大広間、蘇鉄の間、黒書院、白書院の6棟が東南から西北にかけ雁行に並んでいます。 建物面積は3,300平方m、部屋数は33、畳は800畳余りあります。各部屋の障壁画は狩野派の手によるもので、部屋の目的に応じて描かれています。幕末には徳川15代将軍慶喜が大政奉還を発表した場所としても有名です。御殿内は見学ができますが、写真撮影は厳禁。床板を踏むと音が鳴るため、「うぐいす張りの廊下」といわれています。
二の丸庭園 二の丸庭園は、古来からの造庭術にしたがい、池の中央に蓬菜島、その左右に鶴亀の島を配した書院造庭園で、特別名勝に指定されており、小堀遠州の作と伝えられています。庭は1626年(寛永3年)、池の南側に後水尾天皇の行幸御殿が建てられた際に改造されたといわれており、主に大広間、黒書院、行幸御殿の三方向から眺められるように設計されているそうです。色彩に富んだ大小さまざまな石組にあらわれた力強さは、豪壮な城郭建築とよく調和しています。
天守閣跡 1624年(寛永元年)、徳川三代将軍家光の命により、城の拡張、殿舎の整備に着手。1626年(寛永3年)、本丸御殿・二の丸御殿・天守閣が完成して現在の規模になった。城内に高く そびえ壮麗を誇っていた五層の天守閣は、1750年(寛延3年)8月に雷火により焼失した。比叡山などを望むことができる展望ポイントとして整備されていた、元の天守閣跡地のこの場所は予想以上に狭く感じました。20m以上の高さがある石垣の上に、さらに五層の天守閣。さぞかし高くそびえていたのでしょうね。
本丸御殿 1788年(天明8年)には、大火による類焼で本丸内の殿舎もなくしました。現在の建物は、昨日参観した京都御苑内にあった旧桂宮御殿を1893年〜94年(明治26年〜27年)にわたり、ここに移し建てられたものだそうです。創建当時は二の丸御殿に匹敵するほどの規模で、狩野派の障壁画も多数飾られていたそうです。御殿内は非公開となっています。この建物は、1847年(弘化4年)に建てられたもので、宮御殿の遺構としては完全な形で残っている貴重なもので、重要文化財に指定されています。
唐門から二の丸御殿内、二の丸庭園や天守閣跡、本丸御殿を見学し内堀の外の一部を歩いて廻りました。せっかく来たのだからと思い、調子に乗っていたものの、二条城の広大さは予想以上でした。ここでは紹介しきれなかった写真が数え切れないほどあります。左の写真はその1枚になります。今の季節は初夏。まだまだ新緑の木々の中に、2本だけ真っ赤に紅葉したモミジがあったので撮影してみました。この木は季節を勘違いしているのか、それとも品種的に年中紅葉しているのか。。。とても気になる木でした。
におうもん 仁王門 室町時代に建てられたもので、重要文化財に指定されている。 清水寺の正門で、西面する。 応仁の乱後、15世紀末に再建され、2003年(平成15年)に解体して修理をした。 三間一戸、正面約10m、側面約4.8m、軒高8.5mの、室町時代の特徴を示す堂々たる楼門である。入母屋造り、桧皮葺き(ひわだぶき)。 昔ながらの丹塗りで“赤門”と呼ばれる。 正面軒下に平安時代の名書家藤原行成の筆と伝える「清水寺」の額を掲げ、両脇間に勇壮な大仁王像を祀る。
さいもん 西門 江戸時代初期に建てられたもので、こちらも重要文化財に指定されている。 1631年(寛永8年)に再建された優雅な三間一戸の八脚門となっている。 単層、切妻造り、桧皮葺き。 正面に向拝をつけ、木階に高欄を設けて一見拝殿風に作り、背面には軒唐破風を架ける大層珍しい形式になる。持国天・増長天を安置する。 夕日に極楽浄土を観想するためかもしれない。 随所に優れた蟇股や木鼻など多く備え、丹塗りと極彩色文様が復元されて華麗な桃山様式の美を見せている。
ずいぐどう 慈心院(随求堂) 塔頭慈心院の本堂で、1718年(享保3年)に再興されたものです。本尊に、衆生の願い・求めにすぐに 随って、すべて叶えてくれるという大功徳をもつ随求菩薩を祀る。梵字の大随 求陀羅尼をデザインした円形光背をもち、七重の獅子蓮華台座に坐る八臂元禄様式の美術・ 工芸の粋をつくした至極美麗な像で、毘沙門天と吉祥天を脇侍にする。 また大聖歓喜天や粟島明神など縁結び・安産・子育ての神仏を祀る。
三重塔 江戸時代の初期に建てられた、重要文化財。 平安初期の847年に創建と伝えられており、現在の三重塔は古様式に則って1632年(寛永9年)に再建されたものです。 日本最大級の三重塔で高さは31メートル弱。 1987年(昭和62年)に解体修理が行われて、総丹塗りと共に桃山様式を示す各重横木の極彩色文様を復元した。 一重内部に大日如来像を祀り、四周の壁に真言八祖像を描き、天井・柱など密教仏画や飛天・竜らの極彩色で荘厳されている。
本堂 江戸時代初期に建てられた国宝。 優美な起り反り曲線を見せる寄棟造り、桧皮葺きの屋根や軒下の蔀戸など、平安時代の宮殿、貴族の邸宅の面影を伝え、四囲の音羽山の翠緑と見事に調和している。 1633年(寛永10年)に再建され、正面約36m、側面約30m、棟高18mの大堂で、堂内は巨大な丸柱の列によって外陣(礼堂)と内陣・内々陣に三分され、最奥の内々陣の大須弥壇上の三基の厨子(国宝)内に本尊千手観音と脇侍(わきじ)の地蔵菩薩・毘沙門天を祀る。
清水の舞台 江戸時代初期に建てられた国宝。 錦雲渓の急崖に約190u、総桧板張りの「舞台」を懸造りにして張り出し、最高12m強の巨大な欅の柱を立て並べて支えている。 「清水の舞台から飛ぶ…」の諺(ことわざ)があるが、舞楽などを奉納する正真正銘の「舞台」で、両袖の翼廊は楽舎である。舞台からの眺望は絶景で、ここまで来ると、かつての修学旅行で訪れた場所として思い出されました。本堂と清水の舞台、そしてこの後の音羽の滝以外は、ほとんど記憶に残っていません。
音羽の滝 清水寺の開創を起縁し、寺名を由来する。こんこんと流れる出る清水は古来より「黄金水」「延命水」とよばれ、 ”清め”の水として尊ばれ,開祖行叡居士・開山延鎮上人の滝行を伝統して水垢離の行場となり、またお茶の水汲み場となってきた。滝祠に不動明王や行叡居士を祀っている。この場所で水を汲んでいる幼き日のMIEの写真が、今でも古いアルバムの中に綴じてあります。あまりはっきりとは覚えていませんが、楽しかったような気がしています。
観音殿(銀閣寺) 修復中 銀閣寺は臨済宗相国寺派に属する禅寺で、建立は1482年(文明14年)室町幕府八代将軍足利義政公による。鹿苑寺の舎利殿(金閣)、西芳寺の瑠璃殿を踏襲し、本来、観音殿とよばれた。二層からなり、一層の心空殿は書院風。二層の潮音閣は、板壁に花頭窓をしつらえて、桟唐戸を設けた唐様仏殿の様式。閣上にある金銅の鳳凰は東面し、観音菩薩を祀る銀格を絶えず守り続けている。一階部分がない無残な姿の銀閣寺でした。
こげつだい 向月台
ぎんしゃだん 銀沙灘
こくほう とうぐどう 国宝 東求堂 義政公の持仏堂。一層の入母屋造り、檜皮葺きの現存する最古の室町初期書院造りの典型的なスタイルだそうです。南面に拭板敷、方二間の仏間が設けられ、北面には六畳と四畳半の二室がある。北面東側の四畳半は、同仁斎とよばれ東山文化を生み出す舞台となり、また草庵茶室の源流、四畳半の間取りのはじまりといわれているそうです。東山殿造営時の姿を残す貴重な建物。毎年春と秋に特別公開が行われている。
銀閣寺 小学生の時の修学旅行では、銀閣寺に立ち寄った記憶はありません。ただ、バスの車内から「あれが銀閣寺です」と通りすがりに見ただけのような気がします。あれから二十数年・・・大人になって改めて修学旅行コースを廻ってみたいと思いつき、当時は見学できなかったからこそ、わざわざここまで来たのに。。。結局、銀閣寺を見れない運命なんでしょうか。修復中なら、せめて入場料を半額に!!
鹿苑寺(金閣寺) お釈迦のお骨をまつった舎利殿「金閣」が特に有名なため、金閣寺とよばれていますが、正しくは「鹿苑寺」と言い、臨済宗相国寺派の禅寺です。1994年、世界文化遺産に登録されました。起源は1397年(応永4年)、室町三代将軍足利義満が造営した別荘・北山殿。北山文化の象徴的存在である舎利殿(金閣)は三層で、一層は神殿造風、二層は書院風、三層は仏殿造で、公家・武家・禅宗の文化が集結されたものといわれている。二層と三層に金箔が貼られ、屋根の一番上で羽ばたく鳳凰にも、金箔が貼られている。
天気のいい日は鏡湖池に金閣寺が映りこみ、その輝きは鏡のように見える。あいにく、私たちが行った日は風が吹いていたのでした。実際に金箔が貼られているのは二層と三層ですが、三層は内側の壁と天井にも眩いばかりの金箔が施されているそうで、三層の床は一面の黒漆塗りになっているそうです。個人的な意見になりますが、ぜひとも内部に入ってみたいですね。全体の金箔の総重量は20kgにも及ぶそうです。金箔といえば、あのペラッペラな金色のものですよね。ペラッペラが20kgってどんだけ〜!!
不動堂